三沢光晴の死にあたり。
何か書かねばならぬ。
そんな義務感を感じる。それは三沢光晴の死というものに起因している。人の死をきっかけに行動するということはどこか歪んでいて、間違いなく褒められることではないが、しかしそうする人は意外と多い。それは結局のところ、皆が山のように怠惰に佇みながらも動く理由を探しているからであるのかもしれない。
そしてそれは、三沢光晴という人間がその山を動かすに足る人間だった、という証明でもある。勿論、多くの人が人の死を食い物にしていると、そんな見方も出来る。それでも触れぬよりはよかろう、と生きる人間が主張することに価値は無い。しかし哀しいことに、死人に口は無い。故に生きる人間は自由に振舞う。憐憫というのは、実に便利な建前で、だからこそ僕もこの言葉を錦の旗に立てて掲げ、僕はこの文章を書いている。
さて、三沢光晴。
彼の訃報に当たり、昔の友人と二年ぶりに連絡を取った。正確には、三沢光晴心肺停止、という情報を得てからである。現在連絡を満つに取る友人にプロレス好きの人物はおらず、失礼とは思いながらも件の友人にメールをした。友人は今だその情報を得ておらず驚いていた。その30分後、に死亡の一報が入るまで、僕は各新聞のサイトを渡り歩いた。
何故プロレスラーは早く死んでしまうのだろう。エディ・ゲレロも、クリス・ベノワもそうだった。自分がリアルタイムで見ていた選手が死ぬ、という感覚は、未だにプロレスラーでしか経験していない。冷静に考えれば当然のような気もするが、だからと言って納得できるものでも無い。
ノアという舞台は異常な場所である。垂直落下を尊び、断崖式に歓声を送り、明らかに危険な技をどんどんとエスカレートさせて行く、そんな場所である。事実一時期のジュニア戦線は危険だった。今だってそう。Go 2 sleepとか、僕には危険に見えて仕方ない。アレ、マジで顔を蹴ってるだろ。
そんな状況があったから納得できた、などという訳ではない。一夜明けて、冷静になって記事を鑑みて、僕の頭に浮かんできた言葉は、「次は誰だろう」という恐れだった。
今たぶん、ノアは引き返す権利を与えられている。今までエスカレートするしかなかった流れを、エグイ攻撃をどんどんと求められていったその空気を、一気にクラシックな部分まで引き下げる権利を与えられている。色んな選手が様々に手を尽くし、それでも止まらなかった潮流を、三沢の死がせき止めてくれた。
ノアは引き返すべきだ。
その結果ノアという舞台がなくなるとしても、そうせざるを得ないと思う。
きっとそれは、凄く大事なことだ。そしてたぶん今しか出来ないことだ。
でもやっぱり三沢光晴は死んで欲しくなかったなぁ。
誰も死なず、怪我してもケロリと立ち上がって、「いつか大事になるぞ」って眉を潜めてるだけでよかったらどれだけよかっただろうなぁ。
変わらなきゃいけないね。みんな。
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そんな義務感を感じる。それは三沢光晴の死というものに起因している。人の死をきっかけに行動するということはどこか歪んでいて、間違いなく褒められることではないが、しかしそうする人は意外と多い。それは結局のところ、皆が山のように怠惰に佇みながらも動く理由を探しているからであるのかもしれない。
そしてそれは、三沢光晴という人間がその山を動かすに足る人間だった、という証明でもある。勿論、多くの人が人の死を食い物にしていると、そんな見方も出来る。それでも触れぬよりはよかろう、と生きる人間が主張することに価値は無い。しかし哀しいことに、死人に口は無い。故に生きる人間は自由に振舞う。憐憫というのは、実に便利な建前で、だからこそ僕もこの言葉を錦の旗に立てて掲げ、僕はこの文章を書いている。
さて、三沢光晴。
彼の訃報に当たり、昔の友人と二年ぶりに連絡を取った。正確には、三沢光晴心肺停止、という情報を得てからである。現在連絡を満つに取る友人にプロレス好きの人物はおらず、失礼とは思いながらも件の友人にメールをした。友人は今だその情報を得ておらず驚いていた。その30分後、に死亡の一報が入るまで、僕は各新聞のサイトを渡り歩いた。
何故プロレスラーは早く死んでしまうのだろう。エディ・ゲレロも、クリス・ベノワもそうだった。自分がリアルタイムで見ていた選手が死ぬ、という感覚は、未だにプロレスラーでしか経験していない。冷静に考えれば当然のような気もするが、だからと言って納得できるものでも無い。
ノアという舞台は異常な場所である。垂直落下を尊び、断崖式に歓声を送り、明らかに危険な技をどんどんとエスカレートさせて行く、そんな場所である。事実一時期のジュニア戦線は危険だった。今だってそう。Go 2 sleepとか、僕には危険に見えて仕方ない。アレ、マジで顔を蹴ってるだろ。
そんな状況があったから納得できた、などという訳ではない。一夜明けて、冷静になって記事を鑑みて、僕の頭に浮かんできた言葉は、「次は誰だろう」という恐れだった。
今たぶん、ノアは引き返す権利を与えられている。今までエスカレートするしかなかった流れを、エグイ攻撃をどんどんと求められていったその空気を、一気にクラシックな部分まで引き下げる権利を与えられている。色んな選手が様々に手を尽くし、それでも止まらなかった潮流を、三沢の死がせき止めてくれた。
ノアは引き返すべきだ。
その結果ノアという舞台がなくなるとしても、そうせざるを得ないと思う。
きっとそれは、凄く大事なことだ。そしてたぶん今しか出来ないことだ。
でもやっぱり三沢光晴は死んで欲しくなかったなぁ。
誰も死なず、怪我してもケロリと立ち上がって、「いつか大事になるぞ」って眉を潜めてるだけでよかったらどれだけよかっただろうなぁ。
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