僕らは現実に背を向けながら歩いてゆく。 想像と妄想との境目で
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えんをる

Author:えんをる
名称:えんをる

ばーん。


特に意味は無いですが、

このブログは自虐史観です。


因みにカテゴリによって記事のテイストを変えたりしています。

主な物をご紹介すると、


徒然なる日々
ややこしいです。お試し。

ゆるゆる日記
ゆるいです。普通のだよ。

想像と妄想の境目で
バカです。しょーも無い。


相互リンク・相互TBなんかにも憧れを持っております。優しい方、よろしくお願いします。

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2008/04/21 (Mon) 07:00
憎き日記。

他人の日記を見て何が面白いのか、という命題は僕の心に当初から燻り続け、未だ消えていない。もう青春時代も過ぎ去り燃える物も無くなった抜け殻のような大学生であるハズなのだが煙だけは延々と天に昇ろうとしており、いささか閉塞感のある我が心の中は既に煙い。
というか存在自体が煙い。そんな命題さえ無ければ僕は日常にあったことを普遍的に書き連ね、尋常な表現を用い、時には顔文字なんぞも使いながら平々凡々な我が生活を書き連ねられるのである。男が顔文字を多用したりとか物によっては怖気立つおぞましさを身に受けるようなこともあるのであろうので僕は全く使うつもりは無いが、そこら辺は問題では無いのだ。

しかしながら、世の中にはその平々凡々な日常を描いて人気を博すよく解らんサイトも存在してしまう。楽しいか?良く知らん、赤の他人の日常を見てなんか楽しいのか?この場合こそ、あの「へ〜」ボタンを活用すべきなのだ。他人の日記など無駄知識以外の何者でもあるまい。それが我が身に何らかの恩恵をもたらす訳が無いのだから。


だからこそ捻りが欲しいのである。そして僕は捻りたいのである。捻りたいのである。ねじくりたいのである。
捻りきる技術があるかは問題でなく、せめてその姿勢だけは見せて欲しいと思うのである。大体うら若く穢れ無き青年の頃の自らであればそこそこの需要も御座ろうが、燻り穢れ汚れ濁りそれでも尚生きるゾンビのような僕の日記なぞを何故楽しんで読まねばならぬのか。私が何をしたと。責任者を呼べと。私は断固拒否すると、こうなってもおかしく無い訳である。

だから捻る。捻りすぎて前が見えなく判断できなくなっても捻る事を止めないのである。どうせ少し経ったら諦めて普通の日記にする気がするが、だからこそ今吼える。
そんな我への拘束もとい自己暗示が自らを苦しめ、それから解き放たれたものが勇躍するこの現状は断じて許しがたし。単なる日記に興味は無い。皆日記に一計を案じるべきだ。人を楽しませる努力をすべきだ。その結果、楽しませる技術を持つ者が上り詰める、それこそがランキングと言うものではないか・・・・・僕の拙文がそこに登るに足るかはまた別の話であるが。



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2008/04/20 (Sun) 07:00
全世界の9%。

前回レフティーに対する烈火の如く、果てまたスライムの如き粘着質な嫉妬を書かせていただいたわけだが、冷静に考えるとこの僕にも希少価値を持つ要素があった。



というような書き出しで始まるはずだった今回の拙文ではあるが、サイドバーの編集を並行すると言う聖徳太子も驚く同時作業を敢行した結果データの消失と言う実に悲劇的な結末を迎えることになってしまい、もう笑うしかない。
折角枯れ雑巾のような脳みそからありもしない才能の雫を搾り出そうとした挙句何かわからない黒いねばねばした物が出てきて、それが今回のテーマだった・・・といえば聞こえが良いというわけは恐らくだが絶対に無いのであろうが、毎日のようにネタがあるかといえばある訳も無く今回そのネタを封印せざるを得ずなんだか勿体無い。
使い回せばいいのではないか、という提言も御座ろうが、一度見た覚えのある文句がちらほらと出てくる物を書き続けるその所業足るや恥の権化とも言え、最早人のする事ではないと敢えて言い切る。事実その無力感足るや尋常ではない。ダルビッシュと相対する打者が皆感じる心の落ち込みを我も今体験しているのだなぁと、これまた尋常でなくスケールの萎んだ感慨を抱くのもあながち的外れでは無いのではなかろうか。


よって僕はそのネタを我が心の魔法のトビラの奥に押し隠す。アリババが「アブダカダブラ!!」と何度叫ぼうがこのネタが日の目を見ることはまず無い。頬やら脛やらに傷を持った兄ちゃん達が青龍刀やらサーベルやら振り回して「開けたらんかぃ!!!」とかのたまって来る様な事態が我が身に起こるようならば考えない事も無いが、それ以外はダメだ。でも目の前に学長が立って、「キミ、そのネタ見せないと今季の必修の単位あげないよ?」と言われても平身低頭してネタを差し出すので、例外は有り過ぎて飽和、腐敗するほど存在するのではないかと思われるが、だからと言って恐ろしくて数える事も出来ぬ。

敢えて自らの限界を模索する事もあるまい。人の目の前には、無限の可能性という甚だ無責任な唄い文句がぶら下げられているのだ。それに幾年踊らされるのもまた一興。死ぬまで踊るもまた一興。過去に後悔の念を馳せる者は居ても、未来は信じ続けるものなのだ。明日が来る事に驚くような日が僕にも来るのであろうか?想像もできない。



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2008/04/19 (Sat) 16:09
「ライティー」はどこにいるか?

何故スポーツでは左利きが優遇されるのであろうか。


右も左もレフティー待望論が氾濫し、実にナイル川の如しである。ただ左利きであるだけで「右利きとは視点が違う」「打ちにくい」「タイミングが読めない」「見え難い」「リズムが違う」「家内安全」「安産祈願」・・・etcと、それらが実か虚かは考慮の外に置くとしても様々な付加価値がべったりと張り付き、彼らをべったりと守る姿足るや某国聖火防衛隊を髣髴とさせる鉄壁さである。その有象無象の鎧が彼らを上記の価値を備えた完璧超人へと成り立たしめているのであろう。

甚だ尋常で一般的で凡庸で普遍的な右利きである僕には到底真似できぬ所業を彼らは成し得るのでありましょう。凄いですね、左利き。左手に「レフティー」なんていうカッコイイ名前が付いているにもかかわらず、我ら右手を主とする者には格好良い格好悪いの区別より以前に名前が無いと言う空前絶後、筆舌に尽くしがたき酷薄な所業はまさしく地獄火の海の如し。その業火に身を焼かれながらも、その状況を打開する為に僕が作った、右利きを表す「ライティー」という言葉が市民権を得ないのは、前述のような利点が我らに無いからなのであろう。

断じてこの言葉がダサいからとか、微妙だとか、「ポケモンに・・・」とかだからではないのだろう。絶対。ああ、なんと神様は我らを不公平に作り上げたのであろうか。僕も左利きに産まれるべきであった。序に言えば、「ライティー」などと万死に値しようと口にするべきでは無かった。まさしく痛恨の極みと言わざるを得ない。



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2008/04/11 (Fri) 03:51
雨の日、原チャリの上で。

今日外に出ると、雨が降っていた。


ザアザアとか激しい雰囲気には見えなかった。かといってシトシトとか、ぽつぽつとか、そんな生易しい感じではなかった。
言うなれば、”ボツボツ”という感じであろうか。うーん、ボツボツ。なんてがつがつした響きである事でしょう。雨の日に使うより、夜叉の足あとの擬音に使ったほうが良いのではないかとすら思いますね。ね?


そんな未だ嘗て無い擬音語を頭の中で転がしながら、原チャに乗り込んだ。レインコートが破れ、最早何の用途にも使えないようなビニールの前衛芸術みたくなってしまったので、仕方なく水を弾きそうなコートを着込んで行くことにする。スマン、コート。必ず乾かしてやるからな。因みにこんなクソ天気でも原チャに乗ったのは、既に授業開始を迎えかけている時間帯だったからだ。


やああってぼくは原チャを発進させる。だんだんとスピードが出てくる。そして、僕は段々気付き始めるわけだ。



痛い。



単純に痛い。スピードを上げると、針のように顔面に突き刺さってくる
なんとかこの痛みから逃れたかった。まず一つ考え付いたのは、「表面積が大きくなれば衝撃力も緩和されるはず!!」とか一瞬考えたのだけど、いきなり雨粒を大きくする方法が全く思いつかなかったので断念した


次に考えたのが、相対性理論による相対速度の緩和である。雨粒が当たる速度にあわせて頭を後ろに逸らせば、衝突瞬間の速度が緩み衝撃力が緩和されるはずである

この場合、戻すときは空気抵抗が発生する面積を狭くする事と、なにかに覆われているところを突き出すことが重要なので、頭を一旦前に向けて反るように頭を突き出す方法を取った。こうすればサイクルが出来上がり、なかなか理想的そうである


実際にやってみた。

痛いままだった。逆に車にぶつかりそうになった。



万策尽きたようだった。僕は仕方なく速度を落とした、後ろの車には迷惑だろうが、どうしようもない。逆にこちらは制限速度を守っているのだから悪くない。


そこで僕はハッと思った。



雨粒が痛いのは、何故か?
それは、原チャリに制限速度を守らせる為なのではないだろうか?
そして原チャリが制限速度を守る事により車も自然にスピードを落とす。これは大いなる自然の英知がもたらした、人間の科学技術への恵みなのではないだろうか・・・


そんなことを考えていると、僕の原チャを車が猛スピードで追い抜いていった。僕は無言でそれを見つめた。


ちなみに講義には遅刻した。




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2008/03/31 (Mon) 11:37
花粉症との闘い。

食事の際、どこか息苦しさを感じた。


一体何が起こったのだろうか?換気扇はフルパワーで廻っており、体に不具合を感じる訳でもない。しかし息が出来ない。何が原因なのだろうか・・・



そして気が付いた。僕は今花粉症だったのだ。

花粉症の為鼻が詰まっているから息が出来ないのだ。口には食べ物が入っている為、当然呼吸など望むべくも無い。それを考慮せず口に物を運んだ僕は準備不足に陥り、一時的な呼吸困難に陥った、ということなのだろう。


さて、原因は解ったが問題が解決する訳でもない。ちり紙も試したがしばらくは鼻が通る事はありそうも無かった。
仕方が無い。僕は一旦息を吸い込み、酸素を溜め込んでから咀嚼し嚥下する、という方式を取ることにした。実に面倒なメソッドである。


問題点としては、食事の時間制限が挙げられる。

本来は時間に縛られる事が少ない一人暮らしであるが、この方式を取ると息が続く時間が限られてしまう為、頻繁な咀嚼&嚥下が必要とされる。これはせわしない。柔らかいものしか食べられないではないか・・・・



そして思った・・・・現代人は現在、「欧米型の食事スタイルになってあごの力が弱くなっている」というが、実は「花粉症のせいで欧米型の食事にならざるを得なかった」のではなかろうか・・・・







んな訳ねーか。




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